2018年1月29日月曜日

「正しく絶望すること」について(2018.1.29)

これと似たことを言ったのは、ミスター100ミリシーベルトの異名を取る山下俊一氏です。
放射線「正しく恐れよう」 山下俊一長崎大教授が啓発活動2011年4月23日日経新聞

どんなテタラメな人間であっても1つだけは真実を言うことができるという見本ですが(その後、彼は、個別の問題ではこのコトバと間逆のコメントを言い続けたのは周知の通りです)、しかし、「正しく恐れよう」を実行するためには、その前に次のことを実行する必要があります。

「正しく絶望すること」

一方で、私たちの社会は「人々の目をふさぐ張本人が、人々の無知を非難する」(ジョン・ミルトン)。この事態に絶望しないで、彼らの甘言に乗せられていたら永遠に救われない。
他方で、たとえ絶望したとしても、感情に押し流されて絶望したときには、暴力には暴力を掲げるIS(イスラム国)のように、最悪の選択をしてしまうからです。

これを実行したのが広島で被爆した詩人峠三吉です。
彼は、広島・長崎の経験から、人類にこれほどの悲劇をもたらした原子爆弾は二度と使用されることはあるまいと思っていたところ、6年後、トルーマン米大統領らが朝鮮戦争で原子爆弾の使用を検討中というニュースを知り、その愚かさに絶望します。
しかし、彼は単に「絶望した」のではなく、その絶望をくぐり抜け、、「にんげんをかえせ」で始まる『原爆詩集』を書きました()。これを自費出版し、原爆被害を告発しその体験を広めました。彼の精力的な平和運動は、このときの「正しく絶望すること」の上に築かれたものです。

そして、感情に押し流されて「絶望する」のではなく、「正しく絶望する」ためには、「正しく認識すること」が不可欠です。この認識がないまま、感情に押し流されて「絶望」すると、人は、往々にして「認識なき願望」に導かれ、客観的に不可能なことを可能であると思い込み、熱狂的に最悪の選択をしてしまうからです。

そうならないためには、「正しく認識する」努力が不可欠です。けれど、それは決して頭の良し悪しでも能力の問題でもはなく、勇気の問題、愛情の問題です、真実と向き合い、人と向き合おうという。

それについて語った人のひとりが以下の柄谷行人、安富歩です。

「国破れて、末人あり」を超えて》 (柄谷行人)

《 「おかしい」と意識すること、システム全体が狂っていることを認識することが大事》(安富歩)


 () ことば

     ヒロシマから にんげんをかえせ

ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 

       峠三吉 原爆詩集『序』    
   
       
        第二部
    
        フクシマから にんげんをかえせ

ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ

フクシマから ちきゅうをかえせ

うみをかえせ やまをかえせ 
そらをかえせ だいちをかえせ
ちきゅうをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんとすべてのいきものをかえせ

にんげんといきものの いのちあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 

         読み人知らず    




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